今でこそ写真を趣味としていますが、一体いつから写真を撮るようになったのだろうか?思い返してみました。
目次
最初にカメラに触ったのは小学校6年生の修学旅行
小学校の遠足にはいつもプロのカメラマンが同行して僕らの様子を写真に収めていました。その写真を廊下に張り出して、自分の写っているものを購入するのがいつものパターンでした。
そのパターンが崩れてカメラの持参が許されたのが、今でも忘れない小学校6年の時に修学旅行で日光に行った時。
「旅行にカメラを持っていっていいよ」と許されたのです。おそらく、まだカメラは高級品で持って行くことができない児童に配慮して、今までは許されなかったのかもしれません。
その時の我が家のカメラはどこのメーカーだったかは覚えていませんが、教えてもらった写す手順は今でもハッキリと覚えています。
①まず、カメラを傾けてたり色々な方向に向ける。
②カメラ上部にある針が真ん中にに指すところを見つける。おそらく露出計でしょう。
③写したい被写体との大体の距離を目測で測りダイヤルにセットする。風景の場合は∞にする。オートフォーカスなど当時はないので、ピントを合わせているというのは分かっていました。
④シャッターを押す。
だったかと思います。小学校6年だったので、それぞれの操作の意味は分かっていないし、必要最小限の操作だったのかも知れません。
フイルムは当然白黒。「24枚と書いてあっても48枚撮れるからね」と言われ「何でかな」と思いつつも、48枚撮れるなら十分かと思ったものです。
焼き増しということも知らなかったので、華厳の滝の写真は他の人にも渡したかったので、必要な枚数分シャッターを押さないといけないと思ったものです。ずいぶんとフイルムを無駄にしました。
一眼レフを持ったのは結婚してからでした
それから、中学、高校、大学と色々なところに行ったり、やったりした時に写真を写しているハズですが、どんなカメラを使っていたか全く記憶にありません。
ただ、NikonのAF600というコンパクトカメラを買った覚えがあります。昔から小さなカメラが好きだったようです。
社会人になってからは独身時代は、スキューバーダイビングに夢中で水中カメラが欲しかった。ニコノスが有名だけど高いし、AFでないので、ダイビングしながら写すのは無理だと判断して、「写ルンです」にハウジングを装着して写していました。
若人たち、「写ルンです」っ知ってるかな~?。”レンズ付きフィルム”とも呼ばれていました。購入して写してそのままカメラ屋に持ち込んで現像して終わり。
手元にはプリントした写真しか残らないんです。だから、カメラではなくレンズ付きフイルム。急に写真を撮りたい時なんかキヨスクとかで売ってました。
そんな感じだったので、特別カメラが好きというわけでもなく、旅行とかに行った時に適当に写す感じでした。
それから、一眼レフを使うようになったのは、結婚してから、ほぼ衝動買いです。
ある日、カメラのチラシが入っていて買っちゃいました。ニコンのF50と標準ズームと望遠レンズがセットでいくらだったか覚えていませんが、特価だったと思います。しかも、ヨドバシとかビックカメラのような量産店ではなく、町のカメラ屋さんでしたね。
何で買ったか良く覚えてないけど、たぶん、その頃から嫁はんと行くようになったヨーロッパで綺麗な写真が撮りたくなったんだと思います。
いつも海外旅行はパックツアーで、一眼レフを持ち歩いていたので、同じツアーのおばちゃんたちがカメラに詳しいと思ったのか、よくカメラの操作を聞かれたり、シャッターを押してくれとか頼まれたものです。
プログラムモードしか使わず、絞りとかも知らない全くのド素人なのに・・・
はじめて使ったデジカメは80万画素のレンタル
はじめてデジカメに出会ったのは、80万画素のカメラ。今では信じられない画素数です。会社の組合での貸し出し制度で空きがあったので借りて使ってみたのが最初です。
第一印象は「つまらない」でした。
その時の写真を撮る楽しみは、プリントに出す時に「思いどおりの写真が撮れているか?」で、出来上がった写真を見る「わくわく感」と同時に大体は「がっかり感」だったのですが、1枚でも満足する写真が撮れると嬉しかったものです。
デジカメだと、その場で結果を見れてしまうので、面白みがなく、プリントに出すこともないので「つまらないなあ」となったわけです。
そんな思いでしばらくは、デジカメに全く興味がなく、一眼レフのデジカメは、当然値段の張るものだと思っていましたが、「意外と手に入る価格まで落ち着いて来た」のを知りました。
それも、何気に聞いていたテレビショッピングで・・・
それ以降は以下の記事に書いています。紆余曲折して最終的にPENTAXを購入した事の顛末を語っています。これからというものカメラ・写真にぞっこんとなったのでした。