観光最終日は四か国目のボスニア・ヘルツェゴビナ。ボスニアとヘルツェゴビナが一緒になった国です。
ついこの間まで激しい内戦を行っていたことが記憶に新しい。
サッカー日本代表監督のオシムやハリルの祖国。
今までアドリア海に面した海岸を観光してきたけど、内陸側に移動します。
今までとはちょっと雰囲気が違う。トルコの雰囲気が強いです。
最初に訪れたのはモスタル。この橋が有名。きれいな橋ですが、内戦で崩れ落ち復旧したもの。川に落ちた橋の石を引き上げて再利用したとか。
橋の上にはこのような石碑が・・・。「1993年を決して忘れない」。
1993年に大きな戦闘があり町が廃墟となり、この時を決して忘れないといったものです。
添乗員の話が切なかったですね。子供の頃、一緒に遊んだ仲間がある日を境に敵と味方に分かれて戦闘をする、家族間で分かれて戦闘するケースもあったようです。
やっぱり、町の雰囲気はトルコの雰囲気です。
ちなみにトルコには行ったことはありません。あくまでもテレビで見た雰囲気に似てる。
ボスニアの悲劇を背負った橋だけど、今は平和のシンボルです。こうしてカフェで地元のコーヒーを飲みながら橋を眺める。こんな平和な日が来るとは思っても見なかったことでしょうね。
モスタルの次に向かったのは最終地「サラエボ」。首都です。とんがり塔が今までのヨーロッパとは違った雰囲気を出しています。
サラエボと聞いてピンと来るのが「サラエボ事件」と「サラエボ冬季オリンピック」。
サラエボ事件とはオーストリア皇太子夫妻が暗殺され、第一次世界大戦のきっかけとなった事件。この角がその暗殺現場です。当時の写真がビルの壁に掲示されています。
サラエボ冬季オリンピックは、1984年に開催されました。
当時、札幌も2回目のオリンピックとして立候補したがサラエボに敗れた経緯があります。オリンピックでの目立ったスターがいなかったのか、あまりパッとしたイメージはないけど、なぜかサラエボの名前はよく憶えています。
華やかに開催されたオリンピックでありましたが、その後、1992年から1995年まで内戦が勃発。ムスリム人、クロアチア人、セリビア人の3つ巴の争い。
華やかで平和の祭典であったオリンピックのスタジアム跡地は、遺体安置所に利用されたとの説明がありショックを受けました。「強烈すぎる!」。町中で白い墓標が急に現れ複雑な心境になります。さすがに写真に収めることはできませんでした。
今では一見平和そうに見えますが、3つの民族と2つの自治組織から成り立ち、宗教が異なり文化も異なる現状を聞き、いつまた紛争が勃発しないとも限らない危うい状況の中で、3枚目の写真にあるように「1993年を決して忘れない」でいてほしいと思いました。
サラエボを後にしてターキッシュエアラインズを利用して帰国します。
サラエボ→イスタンブール→成田(ビジネスクラス利用)と行きと同じくイスタンブールで乗り継ぎます。
イスタンブールには、ターキッシュエアラインズの世界最大級のラウンジがあります。ビジネスクラスで使えて、ゆっくりしたいが、こういう時に限って乗り継ぎ時間があまりない。
添乗員さんにはツアー客一同、「せっかくだから行ってみたい」と懇願し、30分だけ利用することができました。
ヨーロッパは飛行時間は長いし、行きと違って帰りはテンション下がり気味なので、いつもは憂鬱だけど、やはりビジネスクラスだと気分が楽です。
また、いつかビジネスクラスを利用してみたいものです。
クロアチア旅行記のまとめはこちらです。
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